この20年間に約200名の芸大合格者を輩出した代ゼミ造形学校・芸術学科。2013年も例年通り、優秀な新芸大生が誕生しました。
現在、東京芸大芸術学科では、最終試験で論文または素描が課されています。ここでは論文選択の合格者1名と素描選択の合格者1名の「入試再現」作品を公開すると共に、合格者本人の自作に関するコメントと、造形学校講師のコメントを合わせて掲載します。
両名とも現役合格を果たした将来性豊かな人材です。造形学校出身の美大卒業生の少なからぬ数が、すでに全国の美術博物館のキュレーター、美学美術史専攻の大学教員、評論家や編集者として活躍しています。各界で活動中の方々が、造形学校で学んだことが自分の原点と語っています。現講師の私も、造形学校・芸術学科で学んだことを土台として、毎年新しい芸大生を送り出すことに喜びと誇りを感じています。
代々木ゼミナール造形学校 芸術学科主任講師 佐々木泰樹
ピカソの『ゲルニカ』。この作品は1930年代のスペイン内乱中のドイツ軍によるゲルニカ空爆を主題とした作品として知られている。画面上に描かれている惨劇は怒りや悲しみといった感情を見る者に想起させるものである。しかしこの作品が人々に好まれたのはなぜだろうか。そして、この絵が描かれたのはなぜだろうか。もちろん、戦争に対する怒りの感情が込められた作品であるのは確かだが、本当にそれだけで片づけることができる作品なのだろうか。
画面上に描かれているのは、右から順に天に祈りを捧げる男性、足を押さえ逃げる人物、窓から頭を突き出した顔、ランプを持つ手、爆風で狂った馬、ばらばらになり倒れる兵士、何かを見つめるような牛、死んだ子供を抱きかかえて泣き叫ぶ母親であり、デフォルメされた登場人物のそれぞれが、画面から声が聞こえてきそうなほどの悲痛な叫びをあげている。さらには画面真ん中下の兵士の腕には花が握られ、左奥には爆撃を終えた飛行機までもが描かれている。これだけのものが、人が、馬が、牛が、多くの表情を見せて動きまわっている。しかしそれだけではない。これだけ多くの要素を含んでいるにも関わらず、画面全体が乱雑になってしまわないのは、綿密な画面構成によるものである。画面中央上のランプを頂点とし、直線により表現された斜面さらには横たわる兵士を底辺とした大きな三角形が画面を安定させる。さらに縦三つに分割された画面の右には手を上げる男性が形作る逆三角形が左には母親の赤子が形作る三角形が真ん中の大三角に呼応する。しかし安定した画面においても動きが止まることがないのは、登場人物の作り出す右から左への流れである。例えば足をおさえて逃げる人物、馬、牛が顔を左に向け、我々の眼を右から左へと誘導する。しかし左へと視線を運んだ結果、我々は恐ろしい事実に気付くことになる。右にも左にも出口はなく、すべてが真っ黒の闇におおわれているのである。このように個々の対象が画面の中でそれぞれの主張を発しながら、画面の安定を失わせず、その上、動きまで加え、それを利用したさらなる恐怖の表現までが、この一枚の絵画の中で試みられているのだ。
この大作を前にして、私はもはやこの作品が戦争に反対するという教訓的な意味合いのみのために描かれ、そういった理由で好まれていると言うことは出来ない。この作品がまず一つの優れた作品だということを知っているからだ。怒りや悲しみなどの否定的な感情を想起させる作品がなぜ好まれるのか。それはそういった芸術作品が『ゲルニカ』のように見る者を圧倒する作品としての力を持っているからだと私は考える。
【受験者本人のコメント】 まず当日は論旨が月並みにならないように気を付けました。挙げた具体例がかなりオーソドックスなものなので、できるだけ「ディスクリプション」を活かした論述にしようと心がけました。『ゲルニカ』は一度、教室で論述した作品であっただけにスムーズに論じられました。結論が問いと照応するように工夫しましたが、あまり自信がありません。論述のための具体例のストックを、大学四年間でもっと作りたいと思っています。 |
【講師からのコメント】 論構成の巧みさには目を見張るものがあった世良田さんだけに、芸大入試でも実に明快な論述が出来たのではないでしょうか。具体的なオーソドックスであればあるほど良い。要はいかに論の主旨を構想するかなのですから。美人が描かれているから、その絵は美しい。絵画というものは、それほど単純明快なものではないわけです。しかし、そうしたところをきちんと理解し論じられる人は多くありません。世良田さんは稀少な評論家の一人です。大学入学後も、その眼を育てていって欲しいと思います。 |