藝大合格者座談会

2020年春、今年も代々木ゼミナール造形学校芸術学科在籍の生徒が東京藝術大学芸術学科へ合格を勝ち取りました。
今回は過去の合格者の方にもお集まりいただき、その当時を振り返りながら、
合格した時に感じたことや、学習をしていて苦しかったことなど、色々伺いました。


 
佐々木先生 清岡さん 納多さん 青木さん 飯沼さん
佐々木
今日はのべ4名!の藝大芸術学科合格者に集まってもらったわけですが、まずは今年3月に合格した清岡さん、おめでとうございます。改めて現在の心境を聞かせて下さい。

清岡
はい。今でも信じられないという感じです。周囲も2浪を覚悟していたみたいだし、今日もこれから「合格者再現作品」を提出するわけですけど、いったい受け取ってもらえるのやら心配で。

佐々木
ははは。相変わらず生真面目だね。ところで1年前のことになるけど、納多さんの合格時の心境というのは。

納多
そうですね、これでしばらく休めるかな、という感じでした。

佐々木
合格は確信していた。

納多
確信とまではいきませんでしたけれど、やることはやったので、何とかなるかな、という感じでした。

佐々木
3年前だけれど、青木さんは。

青木
だいたい納多さんと同じ感じです。

佐々木
4年前の飯沼さんは。

飯沼
センター試験が思わしくなかったので、もしかすると駄目かなと思ったのですが、それならそれで1浪すればまず大丈夫だという心境でした。

佐々木
すると、自分でも意外という感じだったのは清岡さんだけだったわけだけど、それは僕自身としても頷けるところなんですよね。もちろん清岡さんの合格が意外だったということではなく、意外に思っていたという理由に頷けるということなんだけど。

清岡
そうですよね。センターでも2次の論述も中途半端で。2月の中頃、これでは見込みないなと思いました。

佐々木
何をきっかけに。

清岡
直前講習中、歴史の解説時に、学生講師の中西先生や青木先生が書き下ろした解答例を読んで、論の構築の仕方にギャップを感じて、自分の拙さを痛感したんです。その時、佐々木先生が私たちに2年間おっしゃっていた「皆は下地がないから、かなり苦しい戦いになる」という、その「下地のなさ」がようやく身に沁みたというか。

佐々木
で、どうしたわけ。

清岡
とにかく、もう一度解答例・論述例をただ表面的にまねるだけでなく、徹底的に読み直してみました。

佐々木
確かに2月の中頃からだったな。清岡さんの論述が回を重ねる度にしっかりしてきたのは。それと、併願していた早大文学部の受験を取り止めた。あの時、ここまで決心つけば何とかなるな、と思ったんだけど、よく止められたよね。

清岡
つくづく呑気だったと思いました。現役の時もやられているのに。合格発表日が藝大の2次試験の前日なんですよ。それで今年こそ、前日にアウトだったら、藝大受験の日に完全に自信を失うなと思って、親を説得して取り止めにしました。今思うと、メンタル面も含めていろいろと作戦ミスというか、見通しが甘いというか。それで、ますます、よく受かったなと思えてくるわけです。

佐々木
そうなんだよね。僕の言う「下地」というのはその辺も含めてのことで、ここにいる3人は皆、現役合格なわけだけれど、いずれも藝大一本だった。青木さんはなぜ併願しなかったの。

青木
メンタル面も考えてはいたんですけど、それより集中したいからです。私大は何だのこうだの言っても藝大とは出題形式が全く違うわけで、私は論述力を磨きたいと思っていたので、とにかく藝大の論述対策に専念したかった。

飯沼
私も同じです。あまり器用ではないので、異なる試験形式を同時にマスターするのは無理だと思ったし、中学3年の頃から藝大に憧れてデッサンの勉強を始めていましたから、私大には関心がなかったこともあります。

納多
私も高校生になった頃から、はっきりと藝大に行きたいと思って、デッサンとか、美術史関係の英文を読むとか、そうした勉強を始めていましたし、北九州に住んでいるので、情報不足ということもあって、藝大一本で行こうと決めていました。

佐々木
清岡さんは。

清岡
そうなんですよね。先輩方と違って、本当に甘いと言うのか、高2の終わりに何となく藝大がいいなと思って、造形学校で佐々木先生の面接を受けて「厳しい世界だよ」と言われたにもかかわらず、英語と歴史という科目からみて何とかなるかなと思って、高3の1学期までバレーボールやってましたし、造形学校で勉強し始めてからも、何でこんなにできないんだろうって不思議に思うばかりで現役生の時は終わってしまいました。

佐々木
そう。だから1浪目の1学期の終わりに「皆、ようやくスタート地点に立ったね」と言ったわけなんだけど、それからも本当に苦しい戦いだった。特に去年・今年と、藝大芸術学科の入試は競争率も受験者のレベルも、ここ10年で最高だったことは間違いないわけで、それにしては皆いまひとつ伸びを欠くのでハラハラしていた。そうした中で、清岡さんはラスト1週間で少なくとも「一馬身」はリードしたと思った。自分ではなぜだと思う。

清岡
センターがきっかけですね。昨年から3教科合計で10点も上がらず、1年間何やってたんだろうと。本当に地力がないんだなと思って号泣してしまいました。

佐々木
その時、僕は「センターなんてそのくらい得点していれば見込みないわけじゃないんだから、論述レベルを引き上げればいい」と言ったんだけど、清岡さんが「その方法が分からない」と言うから、「自分を出せばいい」と答えたんだけど、清岡さんがまた「その方法が分からない」と言うから、「翻訳も歴史も論文も、自分で書きたいことを書いたら全く別のことを書いてしまうレベルではないんだから、こう表現してみようという工夫を意識的にやってみればいい」と答えたんだけど、その工夫が最後の最後に論述に現れたと思った。

青木
私も最後の1週間あたり、清岡さんの歴史の答案を読んでいて、あ、ここは英語から学んだ知識だなとか、ここはたぶん論文から吸収した知識を活かしているな、ということがハッキリ読み取れて、一味違う論述ができるようになったと思いました。

佐々木
そう。清岡さんの場合、3人と違って、早い段階からゆっくり「下地」を作ってこなかったことがハンディにはなったんだけど、直前の直前で一気に飛躍できるだけの地力を、2年間で急速に蓄えたんだ。つまり、資質の点で3人に負けないものを持っていた。でも、藝大入試って本当に厳しい。資質も必要だし、その資質を着々と伸ばす工夫も必要だし。それをさらに大学4年間続けていかないと、結局のところ何もならない。飯沼さんはこの春、大学院の西洋美術史専攻に進学したわけだけれど、その辺はどうでしたか。

飯沼
そうですね。学部の4年間、興味のあることをいろいろやってみて、そこから自分の専門を見つけていかないと、意味のない4年間になってしまいますね。

青木
でも、確かにそれが楽しいんですよ。努力って感じじゃないですね。

納多
はい。私も努力しているって思ったことはないです。美術作品をいろいろと見たり調べたりしているのが一番楽しいのでやっているという感じです。

清岡
ありがとうございます。私も入学後、ますます頑張りたいと思います。

佐々木
またそこで「頑張ります」と言うのが清岡さんらしいところなので、頑張らなくとも自ずから楽しめることをやればいいだけなので、大いに藝大ライフ楽しんで下さい。先輩方、一言ずつ清岡さんにアドバイスをお願いします。

納多
そうですね。興味を持ったことは積極的にやってみることが一番です。

青木
課題に誠実に答えること。きちんと取り組めば藝大の先生は必ず評価して下さいます。いい加減なことをすると全く信用を失います。清岡さんはその点、全く心配ない人なので、これからますます誠実さを発揮していって下さい。

飯沼
好きなことを一生懸命やる。そのことをストレートに評価してもらえるのが藝大ですから、清岡さんも大いに楽しんで下さいね。

佐々木
今日は皆さま方、本当にありがとうございました。お疲れさまでした。僕も29年連続新藝大生誕生に向けてスタートします。コロナ肺炎で騒然とした春ですけれど、健康に留意して、幸先のよい新学年のスタートを切って下さい。
では、また。

座談会を終えて
代ゼミ造形学校芸術学科の専任講師になって28年になりますが、歴代の合格者を見ていると、それなりに覚悟を持って入試に臨んでいるように思えます。もともと「藝大一本」という生徒もいれば、「絶対合格するぞ」と自ら退路を断って臨んだ生徒もいます。清岡さんについては後者の生徒ということになりますね。
もちろん、東京藝大の入試に挑む生徒は「藝大一本」、「絶対合格」を誓い、日々努力していることと思います。それだけではなく、「自分と何が違うのかをしっかりと見つめ、その上で何をどのように学ぶのか」を明確にしたことで、清岡さんは合格を勝ち取ったのではないかと思います。
「気骨ある、志高い受験生の後押し」、何年も講師をやっていると、これが私が受験生の皆さんにできる唯一のことだ、ということを強く感じさせられます。東京藝大の入試を分析した上で、これまで指導してきた経験・知識すべてを使い、これからも皆さんの「後押し」をしていきます。知識や経験よりも、まず必要なのは「藝大に行きたい気持ち」です。志高い皆さんの受講をお待ちしています。
(代々木ゼミナール造形学校 芸術学科主任講師 佐々木泰樹)

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